[Pray for Japan] トピック

2012年03月11日
12:22

1年経過して・・・想う事。

  • ・・・ココロが痛んで、
    目を伏せてしまような事が
    起きた今年。
    失ったものは、計り知れない
    でしょう。 ふと・・・・和やかになれる瞬間。
    ふと・・・・自然と笑顔になれる
          瞬間。
    ふと・・・・前を向ける気持ちに
          なれる瞬間。
    そんな何気ない瞬間がどうか
    あなたのココロに訪れて
    くれるよう。。。
    わたしたちの祈りを、
    心から込めて。

    3月11日から丸一年経ちました。
    こういう場所があってもいいかなぁと
    1年経過して想う事あったらと
    場所作ってみました。
    (長文でも一言でも心の整理にどうぞ。)

書き込み

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2012年
03月11日
14:21

あの日から、今日で丸一年経過しました。
心の整理の為に。。。。。
あの日は、自分はお休みの日で、家に来て
その時間が来ました。いきなり
来た大きな揺れまるで遊園地の船の
アトラクションみたいな揺れだなと感じていたのを

覚えています。そこまでは、気持ちに余裕
あったんですが、その数分後、テレビやラジオで
津波が来て大きな被害が出たと言う事。
津波で飲み込まれた区域には

わたしのいとこのおばちゃんが漁業組合に。

母の友人が自宅に。

いたので、一気に血の気がひいたのを
覚えています。まさか・・・嫌な予感がして、
ツイッターやミクシィやグーグルで、岩手県にいる
祖母や親戚や母の友人の人探しのコミュが
出来ていたので、その書き込むと

全くの赤の他人の人達が励ましてくれ
支えとなり、最後まで希望持つようにと
自分を保てました
その時に、ふと自然に湧き出た言葉が、

“絶対・・・大丈夫だよ”





カードキャンプター桜のアニメの台詞を何故か
思い出して、不安になる度、言い聞かせていました。
日にちが経過するにつれて、情報が色々出てきたので
生存者リスト・避難者リスト・・・見たくないけれど
名前が載ってなかったので、祈る気持ちで、

死亡者リスト・・・・。生きてる心地は全くしませんでした。
何日か、避難者リスト・生存者リスト・死亡者リストを
見る日々。。。情報が交差する中でまず、大船渡市の
老人ホームにいる祖母は無事かもしれないと、
言う事がわかり、名前を確認するまでは・・・と

被災地の航空写真がアップされ、母の友人の家を
見つけ、津波に飲み込まれた痕がはっきりと
あったので、でも、近くに高台があったので
そっちの方に非難していると信じました。

そして何ヵ月後、皆無事と言う事を確認出来ました。
知らない人からや母の友人の息子の息子さんから
連絡がきて驚く事もおこり、ほんとに
改めて、皆に支えられているんだなぁと強く感じました。

夏に被災地に行き、被災地を巡ってカルチャーショック
受けました。祖母の家に行き、23人程今年は集まって
いました。皆に会えて嬉しいけれど気分が悪くなって
夜ご飯を食べれなくて奥の部屋で休んでいたら、
皆が心配して顔覗きにきてくれるんです。

『大丈夫か?。』って、頑固なおじさんでさえも心配しに
来てくれて、こんな弱い自分心配してくれるんだ・・・
皆生きててよかったよぅ・・・と涙がいっぱい出て一人で
部屋でその日は、大泣きしました。不安だったのが
一気に解れたみたいな感じがしました。

母の友人にも出会え人前で泣くなんて恥ずかしいと
思って泣かない方なのですが、自然と涙があふれて
おばちゃん生きててくれたよかったよ><。
そこでまた泣いてしまいました^^;なんだかな。。。

岩手では涙ばかりあふれて泣き虫になってました。
その度に、岩手の地元の人の明るさに逆に支えられて
勇気づけられて、ほんとに感謝しています。微々たる物です
が、ちょこちょこ募金していこうと思っています。


ご冥福お祈り申し上げます。。。。今日は黙祷
捧げたいと思います。

いたたまれない気持ちを静めたくて、ともしびの聖堂で
静かに祈ろうと思います。

2012年
03月11日
22:21

あの日から・・もう一年がたつのですね・・かなり早かったような・・気がしますが
心の中の穴は・・まだふさがってません・・まだ現地でお亡くなりになった知り合いの方のお墓参りは、当方の体調面もありできてませんけど・・今日は地震のあった時刻には打ちの仏壇にて静かに祈らせてもらいました。また東北などのかたのがんばろうという・・やる気それにもかなり勇気付けられてますこれからもできる範囲で被災地の協力などはしていかないとなと思わされた今日ですね

2012年
09月18日
21:03

1年ぶりにボランティアへ行って来た自分。ざっとではありますが、報告を

今回行った内容は、田園地帯の復旧作業(以後、除塩作業と称す)

作業前に、除塩作業の大まかな流れの説明を受ける。

流れとしては、下記の通り

①重機で大きな瓦礫を撤去
②重機で取る事の出来ない小さな瓦礫・ゴミを人の手で撤去
③土を掘り返し、数回に渡って②③を繰り返す。
④水を入れて塩分を徐々に薄めていく
当たり前だが、②③で全ての瓦礫を取り除くことは出来ない。水を入れた後に浮き出てきた不要物を除去し続ける必要もある。


今回自分達のグループが行ったのは、②の作業
(総作業面積は、40人で甲子園のグラウンドの約3倍)
④を行う前の最後の作業であった為、「比較的ゴミ等は少ない」という現地ボランティアの話ではあったが、大きな瓦礫のかけらや、漁業用の網など、大きな瓦礫も多々見受けられた。

そして、土に塩分が大量に含まれている証拠なのか、土の固まりが、石のように堅くなってしまっている。④の作業を行ってから作物を育てることが出来るまで、あとどれ位かかるのであろうか・・・。考えるだけで気が遠くなる・・・。

まだまだ復興への道のりが長いと言う事を認識させられましたが、一方で、少しずつ、復興へ向かって歩み始めていると言う事も感じたボランティアツアーでした。

以上であります<(゚Д゚メ)<(゚ω゚ )

2013年
06月14日
12:58

今更ですが、3/15-17に行ってきたボランティアの報告を。(←はよ書け!)

場所は南三陸の歌津地区。駅があった場所から内陸方面へと約200M先に進んだ田園(?)跡。

そこは、全く手つかず状態。1・2月とボランティアに行った時とは異なり、何も手をつけていない完全に0からのスタート。つるはし等で掘り起こしてみると、様々な瓦礫が次々と掘り起こされ、中には、津波で剥がされたアスファルトがそのまま土の中に。

また、近くにあった看板を見てみると、復興工事の概要を示した内容が
工事期間は3月末まで。工事請負金額2億円。
だが、そこは全くの【手 つ か ず 状 態】
(実際に請負金額が支払われたか否かは、流石に確認出来ませんでしたが・・・)

復興が進みつつある中で、こうした手つかず地域の存在や、復興予算が無駄となっている現実等、まだまだ残っている課題をこの身で感じた出来事でした。

ボランティアの参加人数が減少しつつある(と感じている)最近ですが、現地のボランティアセンターから、いつも世話になっているバス会社への支援要請があり、緊急でツアーを組んだようです。人が集まるか微妙だったようですが、ギリギリで催行が決定したので、今宵、約9ヶ月ぶりに七ヶ浜へと行ってきます<(゚Д゚メ)<(゚ω゚ )

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