今より少し昔に起こった、とあるお話を語りましょう
アップタウンと言う大都市で、フォースマスターと呼ばれるウィザード上位職になったばかりの冒険者が一人居りました
彼女は料理が出来ません。変な所でとてつもなく不器用だからです
その為。街から離れた場所で皆を見守る優しいおばあちゃんにお願いしては、時に分け合い、時に貪る為に色々作って貰っています
おばあちゃんはとても嬉しそうです
心を込めて作った料理、それが冒険者や彼女のパートナー、その友人や知り合いに喜ばれているのですから
けれど、二月を迎えた時に…一つだけ
料理に関する、とても小さな悲劇が一つだけ。起こってしまったのです
「よーし、今の内にチョコレートケーキ大量に作ろう」
「そうすれば季節イベントも直ぐに終わるよね!」
フォースマスターの冒険者、ここからは脳筋ウィザードとでも呼びましょう
彼女は守護魔のお願いを早く叶えようと、予め(可能な限り)沢山のチョコレートケーキを作って貰って当日に備えていました
「これだけあれば、きっと他の人にもお裾分け出来るんじゃないかな?」
脳筋だけにやる事はごり押し。彼女は毎回こんな感じで色んな出来事に臨んでいます
数の暴力で押し切る姿を見越して…だったのでしょうか?
街中が甘い匂いと甘酸っぱい空気に包まれる中。二月の守護魔は、脳筋ウィザードにこう告げました
「チョコレートケーキ作りたいから、チョコレート以外の材料持って来て!」
「(゚д゚)」予想は斜め上の方向で外れました前もって作ったチョコレートケーキは、行き場を無くして何処か寂しそうに見えます
それもそうでしょう。何せおばあちゃんが心を込めて作った料理なのですから
…あげる人が居なくなって、脳筋ウィザードも途方に暮れてしまいました
「ええと、こ…これ。どうしようかな」
彼女の小さな呟きは、賑やかな都市の中では簡単に掻き消されてしまいます
背中を丸めて、チョコレートケーキを抱えながら、とぼとぼとした足取りで辿り着いたのは「いつもの場所」。脳筋ウィザードが好んでやってくる、謂わば拠点の様な所です
ベンチに腰掛けながら。爽やかで少しだけ冷たい風が吹き抜ける、アップタウンの上空を眺め始めます
「食べるか…」
ぼんやりと、先程の呟きに対する答えを出した、その時でした
ベンチの傍に見慣れない姿が二つ
どちらも美しい金の髪と、頭上に浮かぶ独特な紋様の光輪、そして透き通る様な瞳が印象的でした
また。背中に立派な翼を持つ二人は、タイタニアと呼ばれる種族である事が見て取れます
一人は意志の強さを感じさせる男性、もう一人は瞳の輝きを失った少女
話が聞こえたので耳を傾けてみると、二人は兄妹という事が分かります
「あ…ティタちゃんとタイタスさんだ」
二人とは一応の面識がある脳筋ウィザード、彼女は兄妹と、その向かいで兄の方に声を掛けている女性との遣り取りを眺めていました
妹のティタは現在心を亡くしている為、口を開く事はありません
そんな彼女の身を案じる兄タイタスの姿は、献身的ではあるものの、脳筋ウィザードの目には無理をしている様にしか見えませんでした
一方向かいの女性。同じタイタニア族の彼女は、兄のファンで彼を誉め続けています
「タイタスさん、少し困ってる感じなのかな…疲れちゃうよね。ああいうの」
ぽつり。呟きながら膝の上に視線を戻すと
<それ>は「待っていた」と言わんばかりに、脳筋ウィザードへ呼び掛けている様でした
疲れを癒す甘いもの
おばあちゃんの温かい想い
チョコレートケーキです
なるほど、バレンタインは想いを伝える日。頑張れって言葉代わりに渡しても良いかもしれないーーー
脳筋ウィザードは、女性と会話を終えた兄へと歩み寄り、出来るだけ普通を装いながら声を掛けます
「今日和。良かったら疲れた時にでも、これ食べて下さい」
好きでも愛してるでもない言葉とは裏腹に、手渡すケーキはハート型
誤解されないと良いなと思いながら、彼女は片手で手渡します
相手は少し驚いた様子でした
「これを、僕に?」
脳筋ウィザードが笑顔で頷くと、普段あまり笑わない兄の表情が僅かに和らぎます
「作るのに苦労したでしょう?」
優しい声色と、いつもより少し柔らかい表情の兄
それに対して脳筋ウィザードは…と言うと
「へ?」目が点の様になっています
「ほら、こんなに手があれてる」
「あっ、これさっきDマイン遺跡で戦った時に出来た傷と乾燥はd…」
「ちょっと、手を貸しなさい」
「いやその前に私の話聴いt…」
ヒーリング!
呪文が唱え終わると、傷と乾燥肌で荒れていた彼女の手は温かい光に包まれ…何事も無かった様に綺麗になりました
多少強引には見えたものの。見返りを求めず、相手の傷を癒す姿に
脳筋ウィザードは何も言えなくなってしまいます
そして、その後に彼はこう言ったのです
「このチョコケーキ、本当に僕が貰ってもいいのかい?」と
「どうぞどうぞどうぞ!!」
前屈みの姿勢で右手を突き出す形になりながら、何処かで聴いた言葉で返答するしか出来なくなっていました
献身的な姿を見せられて、ケーキのプレゼントを却下するという選択肢が全く浮かばなかったからです
兄は脳筋ウィザードの返事を聴いて、柔らかい顔のまま目を伏せて答えます
「ありがとう」
「君の気持ちがこもったチョコケーキだ。大切にいただくよ」
「(いやそれ、おばあちゃんの気持ちが篭った美味しいケーキなんだよねぇ…何か、ごめんなさい)」「(知らぬが仏、言わぬが花…だよね。これ)」
脳筋ウィザードは何も言わずにその場を離れる事にしました
付かず離れずの状態で、隣にパートナーが居る事もすっかり忘れて
逃 が さ な い よ「プレッシャー」を感じたのはその数分後の事だったとか
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